「Dissolving the Ego, Realizing the Self」 まとめ
- 2012/12/08
「Dissolving the Ego, Realizing the Self」とはデヴィッド・R・ホーキンズ博士の本や講義から引用してまとめた感じの本。
デヴィッド・R・ホーキンズ博士とは悟りの意識レベルにあった人で、「パワーか、フォースか」の著者。
この本は英語なので日本語の本から先に読む方がおすすめ。↓の2冊がある。
洋書も送料無料で買えるようだ。値段も翻訳書と比べてかなり安い。↓の全部買った。
以下は参考になった箇所の和訳。
P4
意識の進歩は、エゴの発達した性質と構造を知る事によって速めれる。
エゴは攻撃されるべき敵ではないし、征服されるべき悪でもない。エゴは思いやりのある理解によって解体される。
P5
エゴは支配されるべき敵ではなく、調べられていない知覚の習慣の集まりである。
エゴは強固に守られた思考習慣であり、それは人間の意識を支配している見えないエネルギーフィールドの影響の結果であると考えられる。それは反復や社会常識によって強化される。
P6
エゴは単なる幻想であり実際には存在しない。それは精神活動による気ままな思いつきの集まりであり感情によって強化されている。これらの欲望はブッダが苦しみの束縛と呼んだ愛着(執着、attachment)を示している。絶対的な謙虚さによってエゴは解体される。それはうぬぼれ(vanity)と習慣のみから力を得ている精神活動の集まりである。うぬぼれによる思考を手放せばエゴは解体する。すべての思考はうぬぼれである。すべての意見はうぬぼれである。それゆえに、うぬぼれによる快楽はエゴの基盤となっている。それを断ち切ればエゴは崩壊する。
P41
思考はそれ自身によって起こり、誰かや何かによって起こされるのではない。
P48
すべてのネガティブな感情は隠された見返りのために存続している。この「エゴの甘い汁」を拒否すると、思考は縮小し消滅する。すると心は空白になり退屈するのを恐れる。観察によると、心は未来を心配したり(恐怖)、過去にしがみついたり(後悔、憎しみ、罪悪感)、過去を思い出して快楽にひたるのを休みなく行っているのは明らかである。そのようにして心は何かをしている事を楽しむ事に集中している。
P49
自我は心に浮かんだ思考を「私の思考」と考えるのが好きであるが、実際はそれは特定の意識レベルに広まっている一般的な思考に過ぎない。
P59
思考による支配をゆるめるには、思考に関する幻想(思考は個人的なもの。思考は価値がある。思考は自分自身のもの。思考は自分自身から起こっている。)を取り去る必要がある。肉体と同じように、心と心から生じるものは、本当は世界から生じたものである。
P60
エゴは支配する必要はなく、単にそれを自分自身と考えるのをやめればいいだけである。
P67
よく訓練された心は、そうするよう求められた時にのみしゃべるべきである。心を観察すると、自我は常に注意を引きたがる子供のようなものだと分かる。
思考から得ている見返りや動機を取り除かない限り、思考を止めようとしても無駄である。その動機の根源は確認し放棄する事ができる。そうすると「ただ何も考えない」と決める事ができる。これは思考が生じる根源である無限の静寂と協調する事で可能である。それは思考の出現の間ではなく、ちょうど前にある。
P68
Q:どうすれば心を静められますか?
A:静めようとする事はできない。心は関心を引くエネルギーが取り去られれば自然に停止する。単に心を所有するのをやめ、それを「自分の心」とみなすのをやめる事がとても役に立つ。思考は特定の意識レベルの自動的な結果であり、人はそれを個人的なものと見てそこから利益を得ている。記憶を放棄すれば、過去にしがみついたり未来に期待したり憂慮するのをやめ、瞬間の現れに生きる事ができる。
心は自己陶酔的にエネルギーを与えられなくなると停止する。思考は本質的にうぬぼれで空虚である。生存は自律的で自動的な宿命的結果であり、心が完全に静かになっても、体は必要な事を自分で行う。
P77
自分は心や体ではなく、その所有者であるという気づきからは大きな自由を得る事ができる。死の恐怖はそれ以外の恐怖の根源にあるので、死の恐怖を乗り越えると人生は違った経験になる。恐怖なしで生きる事がどういう事か知る人はほとんどいない。恐怖を乗り越えると、存在する意味と喜びがありのままに見える喜びがある。ひとたびこの気づきが起これば、人生は楽になり苦しみの源は解体される。苦しみは愛着(執着)に対して支払う代償に過ぎない。
人は考えなければ生きていけないという幻想を抱いている。そういう事は起こらない。個人がそこに存在している必要はない。行動に責任のある「私」が存在すると考える必要はない。すべての事はそれ自身によってなされる。エゴが言う「私がやった。私が考えた。私が決めた。」というのはうぬぼれである。これらすべての事は、それらによって決められ、それらによってなされる。「私」の必要性はない。「する人」はいない。すべては自律的に「それ自身で行われている」。何かをしている個別の人間というのは存在しない。行動は行動自身に起こる。客体性を与える事は停止される。経験は連続した状態からそれ自身のプロセスへ、線形から非線形へ、客体と主体が一体の状態へと移行する。
P78
エゴは考えるのをやめると「退屈する」「存在が消える」と恐れている。退屈する問題については、「興味を引く」考えによって楽しまされない欲求不満という事が分かれば乗り越えるのは比較的簡単である。思考を乗り越えるには、思考が沸いて出る根源を探す事に興味を集中すべきである。
P79
エゴの性質を理解し受け入れ、すべての心的立ち位置(positionality)とその結果の二元性を放棄した時、エゴは乗り越えられ崩壊し消滅する。エゴは覚醒するのではなく、消滅し崩壊する。その時エゴは超越した実在、仏陀の言う仏性(ぶっしょう)に置き換えられる。雲が消えた時、太陽が輝き出るように、真我の実在は表出(Revelation)、気づき(Realization)、悟り(Enlightenment)として自ら輝く。
P93
抵抗しない事は無視する事や否定する事ではなく、観察する事や気づいている事を意味する。それは人生という映画の役者から観察者に変わる事であり、それによって感情的に巻き込まれる事なく参加する事ができる。これによって心的立ち位置や成果に力を費やす誘惑が減る。自我が放棄した時、神聖な意思がそれに取って代わり、創造は継続的で展開的になり意識の展開の役に立つ。
P115
心はそれを追求する事によってではなく、心が助けになるという幻想を放棄する事によってのみ乗り越える事ができる。
P121
献身は教師にではなく神と真理に対してのみ行われるべきである。仏陀が言った「自分より高い位置に人を置くな」というのは、人の唯一本当の指導者は真我(the Self)のみという事を意味している。
P186
実際には時間は単なる幻想で見かけだけである。ひとたびスピリチュアルなゴールを選んだなら無駄になる時間というのはない。悟りに1000回の人生がかかろうと1回だろうと違いはない。最終的には全く同じである。
P190
個人的な「私」は「内容(content)」であるが、実在の「私」は背景(context)である。例えると、雲は変化し消滅し、天気は変化するが空は変化しない。悟りとは単に自分とみなすものを雲から空に変える事である。
P197
この検証可能な事実から安らぎと自信を得る事ができる。それは、悟りに興味を引かれそれを人生のゴールとするのは悟る運命にあるという事である。同じ理由で、将来ゴルファーになる人だけがゴルフレッスンを受けるのである。
P199
人間世界の性質は人類全体の意識レベルの自動的な結果である。それゆえに、世界に貢献するには世界を変えるのではなく自分を変える必要がある。行動ではなく人がどうなったかによって人の真髄が影響を与えるからである。
P203
世界の役に立つには貢献しようとするのではなく悟りを追求し幻想を乗り越えるのがベストである。
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